2022.02.19
北条氏と言っても、前北条氏と後北条氏は別ファミリーだ。
源頼朝の奥さん北条政子の実家であるファミリーが前北条、北条早雲から始まる小田原城で豊臣秀吉に滅ぼされたファミリーが後北条氏と呼ばれる。
北条早雲は伊勢新九郎長氏という浪人が急に偉くなって興したと、私が子供の頃は教えられたが、最近の研究では室町時代から続くなかなかの坊ちゃんらしい。
戦国武将・北条早雲の遺言によって、嫡男・氏綱が大永元(1521)年に建立した金湯山早雲寺は、小田原北条氏の菩提寺として栄え、大徳寺関東龍泉派の古刹として広く知られていた。3代・氏康、4代・氏政によって護られてきた早雲寺の境内は箱根湯本全体に及んでいたといわれ、本堂をはじめ10数におよぶ塔頭(子院)や僧侶のための寮舎が立ち並び、関東随一の大寺院として栄えていたという。
天正18(1549)年の豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏は滅亡。秀吉の本陣として使われた早雲寺は、秀吉が石垣山一夜城に移るときに火を放たれ、栄華の幕は降りる。
その後、寛永4(1627)年前後に、早雲寺の遺宝を密かに隠して再興の時機をうかがっていた菊径和尚によって再建された早雲寺は、箱根を代表する古刹として新たな歴史を刻んでいる。
箱根駅伝でテレビに齧り付いている人も、その事を知る人は少ない。
天下の名湯として名高い箱根だが、ゆっくり過ごして歴史的ロマンに想いを馳せるのも悪くない。
源頼朝の奥さん北条政子の実家であるファミリーが前北条、北条早雲から始まる小田原城で豊臣秀吉に滅ぼされたファミリーが後北条氏と呼ばれる。
北条早雲は伊勢新九郎長氏という浪人が急に偉くなって興したと、私が子供の頃は教えられたが、最近の研究では室町時代から続くなかなかの坊ちゃんらしい。
戦国武将・北条早雲の遺言によって、嫡男・氏綱が大永元(1521)年に建立した金湯山早雲寺は、小田原北条氏の菩提寺として栄え、大徳寺関東龍泉派の古刹として広く知られていた。3代・氏康、4代・氏政によって護られてきた早雲寺の境内は箱根湯本全体に及んでいたといわれ、本堂をはじめ10数におよぶ塔頭(子院)や僧侶のための寮舎が立ち並び、関東随一の大寺院として栄えていたという。
天正18(1549)年の豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏は滅亡。秀吉の本陣として使われた早雲寺は、秀吉が石垣山一夜城に移るときに火を放たれ、栄華の幕は降りる。
その後、寛永4(1627)年前後に、早雲寺の遺宝を密かに隠して再興の時機をうかがっていた菊径和尚によって再建された早雲寺は、箱根を代表する古刹として新たな歴史を刻んでいる。
箱根駅伝でテレビに齧り付いている人も、その事を知る人は少ない。
天下の名湯として名高い箱根だが、ゆっくり過ごして歴史的ロマンに想いを馳せるのも悪くない。